一般社団法人滝川青年会議所
  第56代理事長  浮 田 利 之


    昭和50年3月26日(40歳)
    株式会社マリアージュインベルコ 統括部長

    【JC歴】
      LOM
       2005年 入会
       2006年 未来の青少年育成委員会 委員
       2007年 大切な会員拡大会議 副議長
       2008年 LOMプロジェクト会議 副議長
       2009年 まちづくり委員会 副委員長
       2009年 50周年実行委員会 懇親部会長
       2010年 そらぷち支援委員会 副委員長
       2011年 魅力あるリーダー育成会議 議長
       2012年 副理事長
       2013年 監事
       2014年 監事

      出向
       2007年 (地)地区大会運営委員会 委員
       2009年 (地)地区大会運営委員会 委員
       2010年 (地)主権国家確立委員会 委員
       2011年 (地)ソーシャルアントレプレナー育成委員会 委員
       2013年 (ブ)道央エリア運営会議 幹事



『不撓不屈』
〜One for all, All for one を礎に!〜

【はじめに】
 1975年赤平市に生まれ、12歳まで赤平市で育ちました。私が過ごした赤平は石炭産業で栄え全盛期には59,000人余りの人口でしたが、時代の流れと炭鉱の閉鎖により人口は激減し、1980年代には25,000人余りの人口にまでなってしまいました。そんな時滝川市では50,000人を超える人口の増加、駅前商店街は活気に溢れ、ベルロードには歩行者天国があり、夏にはしぶき祭り、子供の私にとっては憧れのまちでした。小学校6年生になると同時にそんな憧れのまち滝川に私は移住することになり、転校した小学校では全校生徒1,000人を越える生徒数、一学年5クラスもあり、子供ながらに都会に来たと思い心を弾ませていました。そんな時代から25年余りが経ち、現在では歩行者天国もしぶき祭りもなくなり、国道12号線バイパスの開通によりドーナツ化現象が進み、駅前商店街はシャッター街となってしまいました。
 私が滝川市に移住してから時代は大きく変化し、その変化に対応できない多くの企業や団体があるのは現実ではないでしょうか。
 イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの言葉で『最後に生き残るのは、最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。』この言葉の通り、滝川青年会議所は変化した時代や環境に対応し進化して行かなければなりません。
 第二次世界大戦後、先人たちはこの国を憂い、愛するこのまちの再建に情熱を燃やし、日本経済の復興と世界平和を目指す中、新たな滝川を創造すべく滝川青年会議所が誕生しました。「明るい豊かな社会」を創るという理念のもと、まちづくりとひとづくりを通じて様々な運動を展開し、このまちの発展を担ってきました。未来に対する不安はありますが私たち青年会議所運動の中にある豊かなまちにつなげようとする思いは変わりません。私たちは決して立ち止まることなく、魅力ある故郷にするため運動を展開し、更なるまちの発展を実現するためには気概と覚悟、そして誇りをもって社会参画し、地域における活力は「人」であり「JAYCEE」であると私は考えます。そのためには不撓不屈の精神が必要不可欠であり、不可能を可能にすることが今の滝川青年会議所に求められていることではないでしょうか。

【まちの未来を創造する】
 近年、社会情勢や経済状況は激しく変化し、時代や環境の変化に対応できず無意識の内に目標を低い方へと向いているように感じます。変化に対応し一歩踏み出せる自身を作り上げるためには、地域、個人においても挑戦していく必要があります。青年会議所運動が始まって以来、私たちが人々の心を動かし社会を変えてきたのは事実であり、人が会社や組織を運営し、まちを創り、国を創る、それはこれからも変わることはありません。私たちの運動の目的の一つは明るい豊かな社会の実現、それを達成するために青年経済人として、JAYCEEとしての個を磨き成長し、組織全体が進化しなければなりません。
 私たち滝川青年会議所は創設以来、地域に潜在する文化や人物、食材などの様々な資源の発掘を行ってきました。私たちがまず地域のことを知り、これからも地域のことを学び続け、滝川市の魅力を多くの人に知っていただく機会を創出し活気あるまちづくりを目指します。また、活気溢れる地域を創造するため、行政や地域の各種団体との連携を図り、地域を取り巻く課題を共有し、まちのために何が出来るのかを考え、私たちがこの地域に積極的変化をもたらすことの出来る青年として活動してまいります。
【青少年の未来のために】
 40年余り続いている滝川名護児童交歓事業、なぜ永きに渡り続いてきたのでしょうか。それは先輩諸氏が子どもたちへ多くの感動や友情、そして、受入家庭への感謝のこころと、名護派遣を通じ大きく成長した子どもたちの姿を見てきたからではないでしょうか。
 私たち滝川青年会議所は未来を担う子どもたちに、北海道とは違う気候や文化に触れ、そして受入家庭のやさしさに触れ、親のありがたさに感謝する。団体行動の中で自主性や協力性、そして達成感や忍耐を身につけ、問題があれば協力し解決できた達成感を感じ学んで成長につなげて頂きたい。
 近年では少子化により対象児童が減少していますが、今までこの事業に参加した児童の笑顔、そして名護で友情が芽生え別れの涙を見た時、決してこの事業を途絶えさせてはいけないと感じさせられました。
 事業の基本はありますが、私たちのもっている英知と勇気と情熱をもって新たな事業構築を目指し、子どもたちの成長と、多くの感動を生むような企画運営を行ってまいります。
【未来へつながる社会支援】
 滝川市にはアジアで初めて難病と戦う子どもを受け入れる施設「そらぷちキッズキャンプ」があります、「外で遊びたい!」それが夢だと言う難病の子供が、日本全国で約20万人も病気と闘っています。私の3歳の子どもも昨年「成長ホルモン分泌不全症」という難病だと医師から伝えられました。親として子どもに何をしてあげられるか、どうしてこんな事になったのだろうか、毎日考える日々を送りました。しかし、私たち親に出来ることは毎日毎日痛い痛いと泣き叫ぶ子どもに、ホルモン注射を打ち続けることしか出来ませんでした。ある日、私の妻はこんな夢を見ました、「どうしてこんな体に生んだの?」と夢の中で子どもに言われた言葉でした。難病の子供の症状に軽い重いはありません。子どもや親も病気に悩み苦しみ将来を考えています。 その気持ちを和らげ、子どもに夢と笑顔を与えてくれるのがそらぷちキッズキャンプです。私たち滝川青年会議所が子ども達にしてあげられることは限られているかもしれません。しかし滝川青年会議所とそらぷちキッズキャンプのスタッフが一丸となれば不可能を可能にし、子どもの笑顔をもっともっとつくってあげられる。私たちは今一度この事業を見つめ直し施設に何が一番必要で子ども達に何をすれば多くの笑顔が見られるのかを考えこころに残る支援を行い、更には私たち青年会議所は多くの人たちにこの施設の大切さや必要性を知って頂く必要があります。そのためには多くの子どもの夢と笑顔が見られるよう広報支援活動をしなければならないと考えます、また、そらぷちキッズキャンプは市民や団体の皆様のこころある募金の支援により運営しております。子どもたちへのサポート体制の充実など、より安全で安心できる施設であるために募金活動の支援も行い、広く支援活動を行ってまいります。
【滝川の未来のために】
 近年、全国の青年会議所では会員数の減少が問題となり、会員拡大は急務となっております、20歳から40歳までという年齢制限のある青年会議所にとって新入会員の減少は人数面においても財政面においてもそのまま規模の縮小に繋がり、青年会議所運動に大きく影響されます。
 入会の動機は人それぞれ違いはありますが、青年会議所に入会すると自然とこのまちを良くしようと考えます。そういう青年を一人でも多く増やし理想とするリーダーがこのまちに溢れることで滝川市の発展や活性化に繋がり、また、まちのために事業をつくり上げていく過程でメンバーは成長し郷土愛を育み、地域のリーダーとして活動していかなければなりません。
 様々なコミュニティーにおいてリーダーの存在は必要不可欠であり、だからこそリーダーの登場をただ漠然と待ち望むのではなく、滝川青年会議所の魅力を広く発信し、卓越した人財を発掘することが明るい豊かな社会の実現に繋がるのではないでしょうか。新たな人財の発見は青年会議所運動を継続させることだけでなく、現役メンバーの価値観をさらに広げることとなり、更なる魅力ある滝川青年会議所になっていきます。
【最後に】
 私たち青年会議所が最も本領を発揮できるのは、壁に当たったときだと感じています、誰にも真似をできないことをするのがJC、誰も考えつかないことを考えるのがJC、不可能を可能にし様々なまちづくり運動をするのがJC、私たちの英知と勇気と情熱を持って今までの自分より一歩踏み出して活動すれば、それが力となり経験となって今後の自分や職場、地域の財産となります。
 個々がメンバー全員のために考え行動し、メンバー全員が個々をサポートし一丸となる。One for All , All for Oneを礎に、不撓不屈の精神で明るい豊かな社会を築き上げていきます。